父の反骨
先日、ここ最近の仕事の成果物である雑誌を実家に送ったら、父にしては少し長めのLINEが来た。
雑誌の感想の後、末尾に「僕も普段のそこここに出る反体制なところが自分自身気に入っていて毎日の生活に活かされてます。(意味不明瞭)ではまた会いましょう」とあった。父がこういうことを言うのは珍しい。(意味不明瞭)というところに照れを感じて可笑しく思いつつ、幼い頃から見てきた姿や僕自身のルーツにはっきりと筋が通った気がした。
父は、社会に不満を言わない。
父は祖父から(自身の父から)小さな会社を受け継ぎ、七十歳を数年過ぎた今も現役で営んでいる。祖父について詳しく聞いたことはないけれど、投機的な−−時代を映すヤマ師的な−−向きがあって少なくない借金も残したらしい。
それを返済し事業を軌道に乗せたが、バブル崩壊で苦境に陥った。幼い僕もうっすらとは状況を察していたつもりだったけれど、母が言うような「夜ごと一人で黙って頭を抱えてた」姿は見たことがなかったし、思いもよらなかった。
その後も浮き沈みを乗り越え、今もそうするのが当たり前のように仕事を続けている。昔から将棋が得意な通り、他人の思惑や手を慮りながら自身の振る舞いを決めてゆく身のこなしは今なお冴えていて、僕は仕事の相談をするなら父だと思っている。
そんな父が社会に不満を言うのを聞いた記憶がない。
子どもの頃は意識したこともなかったけれど、大学生になって現代思想を専攻し批判的精神を身につけ、世の中の理不尽に目が向くようになると、父がそれらへの不満を口にするのを聞いたことがないと気がついた。
社会に興味がないのかと言えばそういうわけでもない。世の仕組みを尋ねれば、常に少なくとも子どもを納得させるだけの説明をしてくれていた。
大学を出て社会人になり、両親と過ごす時間が減っていくにつれ、そんな父のあり方をとりたてて意識することもなくなっていった。
僕自身はというと、「社会のために」という青みを帯びた使命感をSNSで言葉に乗せられる時代に高揚し、現代思想を学んだ意義はそこにあると思っていた。
それがここ一二年、社会への不満を表現することを、自分のやりたいことではないと感じ始めた。不満はいくらでもある。政治にも制度にも風潮にも、おかしい、許せないと思うことばかりだ。けれどもそれらをはっきりと言葉にして日々発信することは、得意な人たちに任せたいと思うようになった。
今は政党のWEBサイトに意見を書き送ったり、賛同する考えの運動に署名や募金したりと、無理を感じないやり方で不満を形に変えるようにしている。それでいいのだと思う反面、自分は批判的精神を失っているのだろうかという不安を抱えることにもなった。
そんな折に冒頭のLINEに触れたのだった。
父が僕に対して初めてはっきりと言葉にした「反体制」と、表立って不満を言わない姿が、今の僕自身のスタンスを経由してきれいに結びついた。
紆余曲折を経て会社を営んできた父が、政治や制度にものを思わないわけがない。父の反体制、反骨は表出するタイプのものではなく、内にあって日々の振る舞いを支えるタイプのものだったのだ。
最近読んだ『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』(小川さやか著、春秋社)に、膝を打つ一節があった。さまざまな理由と方法で香港に滞在するタンザニア人ビジネスマンの暮らしを読み解いたエッセイだ。
“他者の生き方に介入することに控えめな彼らは道徳を説かないし、起業家精神たくましい彼らは、政治談義はしても、社会状況や制度に対する不満はあまり語らない−−きっと「プロジェクト」を立ち上げるチャンスだと思っているに違いない。”
(「おわりに」より)
父のことを書き表したような文章だと思った。
政治や制度への不満、怒りを抱えつつ、「そっちがそう来るならばこっちはこうする」という意識で将棋のように日々を組み立て、今なお新しい仕事の機会を常にうかがっている。
それはひょっとすると、ヤマ師的な祖父の逞しさを受け継いだものでもあるのかもしれない。
そしてこのことは、僕自身のルーツにも気づきをもたらした。
僕が学んだ京都大学の学風は、ごく大雑把に言えば反体制だった。少なくともその点に誇りを持つ学生は周りに多かったし、入学後まず驚いたのは社会に物申す若者とビラで構内が沸いたようにごった返していたことだった。
僕はそんな環境で現代思想と出会い、批判的精神を身につけたと思っていたけれど、どうやら少し違っていたらしい。幼い頃から見てきた父の姿やともに過ごした時間から知らぬうちに得た反骨の種が、学風の下で芽吹いただけだったのだ。
***
父のLINEから、謎が解けるように僕は自身の批判的精神のルーツを知り、そのあり方を肯定する勇気を得た。
最近、自身のパーソナリティにおいて両親の影響をますます強く実感している。コロナの影響下で動的なインプットが難しく、自分の内側をこそげたものを記憶と並べて見つめるような時間が長くなっているせいかもしれない。
既に1年半会っていない両親が次回どんなふうに見えるのか、そこから自分自身への理解がどのように進むのか、今から楽しみに思っている。