『生き物を描く サイエンスのための細密描画』展を見てきました
神奈川県立 生命の星・地球博物館の『生き物を描く サイエンスのための細密描画』展を、最終日の11月3日、滑り込みで見てきました。
博物館スタッフの宮崎佑介さん(『WEB魚図鑑』のぷいぷいユッケさん、でおなじみ)にご案内いただいていたものです。
テーマは副題の通り「サイエンスのための細密描画」。つまり、その生き物を細部に至るまで科学的に精確に描ききったイラストレーションです。
私自身の絵は、ひれの「すじ」の数やうろこの枚数など、細かい部分にはそれほど厳密にこだわっていません。私が絵を描くモチベーションが、それらのディテールよりも魚の表情や姿勢や色味の方を優先しているからなのですが、近ごろ「自分はそういったディテールをどこまで精確に描くべきなんだろう」ということが気になり始めてもいました。
そんな折、考え方のヒントを得るにはぴったりのテーマだったわけです。
1時間半ほど、息を詰めるようにして見学。すばらしかったです。
絵に圧倒されたのは言わずもがな、私が特に印象に残ったのは…
1.「アート」と「イラストレーション」の違い。
アート…自由な発想や、自分の理想を作品の中に盛り込んだもの。
イラストレーション…ある特定の対象や、一定の目的のために描くもの。
今さらながら、この指摘は目からウロコでした。 分かりやすかったのは、この説明の横に添えられていた「イラストレーションとしての生物画」と「アートとしての生物画」。どちらも写実的にコイを描いたものですが、確かに違います。
イラストレーションのコイ(川原慶賀)。
アートのコイ(堅山南風)。
川原慶賀のイラストレーションのコイは、精確さを追求して描かれた文句なしにリアルなコイです。
では他方、堅山南風のアートのコイが非リアルかと言われれば、そうではありません。こちらも写実的に描かれたリアルなコイなのですが、「コイとはこのような生き物だ」という科学的な定義を人に伝えるための絵ではない、という点が川原慶賀のコイと違っています。恐らくこの絵は、池を悠々と泳ぐ大きな老コイの、静かな美しさを南風がリアルに表現しようとしたものではないかと思います。
どちらもリアルなコイ。けれども、そこで精確性を追求するか否かは、描き手の目的による。つまり、「リアルであること」と「精確であること」とは、別の階層で考えるものだということになります。
私はあくまでリアルな魚の姿を描きたいのですが、細部に至るまで精確に描くことは自分の中で今のところ優先度が高くない。
そのことを最近は自己矛盾のように感じることもあったのですが、両者を別の階層で考えればよいという発見は、これからを考えるうえで大きなヒントになりました。
2.「魚を描きたい」モチベーションのルーツは「模式図」に。
すばらしい絵の数々に唸らされっぱなしだったのですが、いちばん「おっ!」と心が沸き立ったのは瀬能宏さんがお描きになった魚の模式図です。
種の同定のためにそれぞれの魚の特徴を図解したものです。
この絵は「その魚らしさ」を示すという目的に沿って要素を絞り込んでおり、例えばひれの「すじ」(軟条)やうろこは描き入れられていません。 つまり、正確なのですが細密ではありません。 先ほど「リアルであること」と「精確であること」とが別の階層の話であると気づきましたが、「精確であること」をさらに「正確であること(内容の話)」と「細密であること(表現手法の話)」に分けると考えやすくなりそうです。
科学的に精確なイラストレーションにおいて、「正確であること」は大前提の必須条件ですが、「細密であること」の必要度はさまざまであるようです。
すじやうろこが省略されたこの模式図のように、目的によっては高いレベルの細密さは不要です。
そして私がこの模式図に「おっ!」と反応したのは、この模式図こそが私が描きたい絵のプロトタイプだからです。 この種の魚はどんな形をして、どんな顔つきで、どんな模様で、どんな色をしていて、それは他の種とどう違うのか。それを絵に表したい、というのが私のモチベーションの根底にあります。それらの要素が「同定」という目的の下、科学的にシンプルに表現されているのが、この模式図なのだと気がつきました。
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この2つの気づきのおかげで、私が描いている絵は何なのか、これからどんな絵を描いていきたいのか、そのために必要なことは何なのかが整理されてきたように思います。
まず、同じリアルな魚の姿を描くものでも、「アート」と「イラストレーション」の間には、精確さを必須条件として求めるかどうかで決定的な違いがあります。 さらに、イラストレーションに求められる「精確さ」の大前提として「正確であること」があり、その表現のひとつのあり方として「細密であること」がある。つまり細密であることは精確であることの必要条件ではありませんが、細密であればあるほど「精確」という言葉がしっくりくることは間違いないところだと思います。
私の絵は、リアルを志向してはいますが「精確さ」を求めてはおらず、「アート」の側に分類されます。ですが、私がアートとしての魚の絵に盛り込みたい要素は「魚たち固有の表情や姿勢や色味」であり、さらに「それが他の種とどう違うのか」という点です。それらの要素に対する志向が「イラストレーション」の側に属する絵、特に正確ではあるが高い細密度は求めない「模式図」と共通している、という構図になりそうです。
これは言わば、はるか昔に進化の道のり上で袂を分かちながらも、ひょいとまたげば手が届きそうなところを歩んでいる両生類とハイギョのようなものなのかもしれないと思いました。
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時間をおいてもう一度考えてみればいろいろと突っ込みどころが出てきそうな気もしますが、そこそこすっきりしたので今日のところはこれで。