姓を選択する
結婚しました。
新しく立てた戸籍の筆頭を妻にしたので姓が変わり、「長嶋」祐成は活動名になりました。
「つまり婿養子?」とよく訊かれるのですが、私もよく分からず「そういうことなのかな…?」と思って調べてみました。すると家父長制的な家督相続を目的とした婿養子の規定は、1948年というはるか昔の法改正でとっくに姿を消していました。
今でも妻の両親と養子縁組すれば旧法における婿養子と同様の形をとることはできますが、私はそうはしておらず、ただ単に「戸籍の筆頭を妻にした」だけのことです。妻の姓名と私の姓名を互いに組み換えてみて、字面や語感のおさまりが良い方を選びました。
私は選択的夫婦別姓の導入にはもちろん賛成で、その選択肢があることが最善と思っています。
それは大前提としつつ、しかし現行の制度において「妻と夫、どちらの姓を選ぶか」はひとえに「どちらを筆頭にするか」というだけの、本来50-50のフラットな選択であることを改めて認識しました。つまり現在95%が夫を筆頭として男性側の姓となるのも、そうでないケースに「婿養子」という名称が特に与えられるのも、何ら法や制度が求めていることではないのだと。
70年以上前の法改正で姿を消した概念がごく当たり前に口をついて出てくるように、ひょっとすると私たちの先入観や慣習が、法や制度に大きく後れをとっていることがあるのかもしれません。
一方で現在の婚姻制度はLGBTQ+のいわゆるマイノリティの方々にとって受け入れがたい側面を有するものでもあり、私たちの意識が法を先導し、その変革を促さねばならぬ面も当然大いにあります。
思考を支配する「当たり前」をいったん振りほどき、それが本当に合理的にフラットに検討されたものなのか問い直す。大学時代に現代思想を通じて学んだその姿勢を生き方にひとつ反映させられたのが今回の姓の選択だったなと、自らに安堵する気持ちでいます。
(おわり)