カサゴ釣り、夜の海で少し怖かった話
久しぶりにうんと羽をのばす休みをとり、九州を旅してきました。
スーツケースにはいつものように愛竿のXT511-5S(Huerco)。海辺の街に泊まったある夜、釣りに行くことにしました。スマホを頼りに知らない街並みを抜け、防寒着の中が汗ばんだ頃にオレンジ色の港の光が見えてきます。
どんな土地でも、夜の港でルアーを追う小魚を釣るのが何よりの楽しみです。
ひと気のない、けれども昼間の営みのぬくもりが確かにそこここから立ち上る中、小さなルアーになって真っ暗な海に飛び込みます。魚がかぶりついてくるたびにひゃっ!と声をあげるような小さな興奮に心が沸き、捕まることを期待しつつ逃げ回る。時間と体力さえ許せば朝までこうしていたい、といつも思います。
石垣島では同じ釣り方を繰り返していても多種多様な魚が釣れますが、本州中部以南の内地では圧倒的に多いのがカサゴです。今回の旅でもひたすらカサゴカサゴでした。
子どもの頃、この魚の「釣られ姿」をとどめおきたいと思って魚の絵を描き始めたほど好きな魚です。色や模様もさまざまで、いくら釣っても飽きることがありません。
2時間ほど楽しみ夜も更けると、さすがに冷え込みが厳しくなってきました。200メートルほど北にもうひとつ小さな港があるようなので、そちらでも少しだけ竿を出してから帰ることにしました。
それはどうやら使われなくなった廃港のようで、コンクリートの隙間からは枯れ草がぼうぼう、堤防の一部は崩れかかって立ち入り禁止のロープが張られていました。その一角にだけ眩しいほどの灯りが設置されて、あとは真っ暗闇です。浮桟橋が3つ、長く放置されているようで半ば崩れて沈んでいました。
崩れかかった人工物というのは魚にとってちょうどよい棲家になるようで、こういう場所ではよく釣れるものです。ルアーを沈めて手元に意識を集中するのですが、視界には崩れた堤防と朽ちた浮桟橋。50メートル向こうは国道で車が行き交っているのに、ここだけは空気も時間も止まっているかのようです。
ふいに「あ、これはダメだ」と恐怖心がわき、沈めたルアーを回収するより先に走り出していました。国道沿いのカラオケの駐車場でようやく落ち着いて道具を仕舞い、息を整えて帰路につきました。
今までの人生で二度だけ、「霊的な何か」に対する自分の感覚を信じたくなる出来事にあったことがあります。それとて「気のせいだよ」とか「偶然だよ」と笑われたとしたら敢えて反論する気もないくらいのものだし、今回の港での恐怖心が「霊的な何か」だったとも思っていないのですが、夜釣りのちょっとした恐怖体験はときどき耳にします。
そういうエピソードは総じて人工物にまつわるものが多いようです。確かに自然の夜磯で恐怖を感じたことはありませんし、山歩きする知人も「古井戸とかゴミとか、人の痕跡に出くわすと怖い」と言います。廃神社近くのとある釣り場には、「ずっと人の声がする」ということで「漫談」という面白いような怖いような名前が付けられていると聞いたこともあります。
どうという話ではありませんが、営みを感じる港に癒され人の痕跡だけを感じる港に少しゾッとした、結局は楽しい夜でした。