不確実にどう向き合うかー『沖縄・素潜り漁師の社会誌』感想

不確実にどう向き合うかー『沖縄・素潜り漁師の社会誌』感想


本書を読みながら飛行機に乗っていると、舞台となっているサンゴ礁「八重干瀬(やびじ)がちょうど眼下に!

本書を読みながら飛行機に乗っていると、舞台となっているサンゴ礁「八重干瀬(やびじ)」がちょうど眼下に!

『沖縄・素潜り漁師の社会誌 サンゴ礁資源利用と島嶼コミュニティの生存基盤』(高橋そよ著/コモンズ)を読み終えました。
宮古島の佐良浜で漁業を営む人々が、海という不確実の塊とともに生きてゆく術をどのように築いているのか。著者自身が漁師に弟子入りし、コミュニティの一員としての滞在を繰り返しつつ重ねた体験や聴き取りを丁寧に積み上げながら論じた本です。

こうした社会人類学的なレポートからの学びは、自分が普段当たり前のものとして受け取り、内面化している価値が相対化されることだと思います。
「なるほど、こういう生き方もあるのか」という気づきを他人事として済ませず、その根本にある考え方を自らの環境や生き方に当てはめてみる。そうすると自らの生についても新たな発見が得られる、それがこの分野の学問の意義の一つだと思うのです。

本書を読み進むにつれ頭に浮かんできたのは、「不確実にどう向き合うか」に関する問いでした。

佐良浜では、(簡単に言うと)漁師は特定の仲買いと固定的な関係を結び、その日の漁獲物はすべてその仲買いに販売しなければなりません。値付けは仲買いが行うため漁師にとっては言い値で売ることになるのですが、その一方で仲買いには漁師が獲ってきたものを「すべて」買い取る義務があります。これがほしい、これはいらないと選り分けることはできません。お互いに不満やリクエストはご法度で、それだけで関係解消の理由になりえます。

正直、これを読んだときには「めんどくさそうだな」と思いました。漁師にも仲買いにも潜在的な不満がどんどんくすぶりそうなシステムだと。都市の経済活動に当てはめてみると、すぐにも関係破綻してしまいそうです。

ですが、佐良浜では長らくこの慣行が維持されており、その背景にはお互いの信頼関係がありました。
●漁師は仲買いが売りやすいよう、臨機応変に漁法を組み合わせながらさまざまな魚介を獲る
●仲買いは「すべて売りさばく」工夫と努力をする
●仲買いは漁師に金銭面の心付けや必要に応じて前貸しを行う
●仕入れ値や小売価格はすべてオープンにされている
●関係は対等、平等である
つまりは、海の不確実を共に生きるため、それぞれがリスクを回避する手を尽くしながら関係を結んでいるのです。

これは容易に想像できるように「誰かが大きく儲ける」のが難しい仕組みだと思います。実際、「自分ばっかり儲けちゃいけない」というような言葉を著者はよく耳にしたそうです。
漁師の間にも、海への畏敬や信仰に基づき漁場利用の機会を平等化するように働く仕組みがあります(生まれの干支の方角への出漁を禁忌とするなど)。

最初これを「めんどくさそうだな」と感じたことで、僕は自分が「頑張って稼いで、儲けて、生活を向上させる」価値観をいつの間にか当たり前に内面化していることに気がつきました。
それと同時に、平等を志向する価値観が今の社会においてなんとなく古臭いものだと忌まれる部分があるということにも。「調整」とか「ポスト」とかよりも「成果」「能力」に基づく評価の方が現代的に思えます。

さらに僕自身、共同体でみっちり助け合う関係を築くのよりも、自己責任で気楽に生きたいという感覚があることにも気がつきました。これも根底は同じだと思います。大雑把に言えば、自己責任をベースに自由な競争で能力のあるものが稼いでいくという新自由主義的な価値観です。
僕は今の政治・経済におけるその傾向に不安や恐ろしさを感じているのですが、実際のところは自分もその根にある価値観を心地好く内面化していたようです。これは大きな発見でした。

「手を取り合って助け合おう」というのも「自分の能力でガンガン稼ごう」というのも、不確実に対する備えのあり方です。この違いは、不確実性というものをどう捉えるかによって生まれるように思えます。自らの手に負えない不確実に直面している実感があれば前者に、自ら乗り越えられる確信があれば後者に流れる。シンプルに机上で言えばそうなると思います。
本書を読んでなお、そのどちらが正解かは僕には分かりません。震災やパンデミックがあれば信頼関係に基づく共同体が復権する、というような単純な話でもないのだと思います。

僕自身は、これからも新自由主義的な価値に不安を感じつつもその根を抱いていくのだと思います。この一見矛盾したようなあり方への気づきは、普遍的な着眼点につながるかもしれないと思いました。自分が反対しているつもりのものと、根底の価値観は同じくしているということが他にもいくらでも見つかるかもしれません。自分の認識や思考を見直す上で、新鮮でとても有用な手がかりになりました。