墓参りの千円札

墓参りの千円札


僕が大学生の頃だったか、酷暑のお盆に両親と墓参りに行くと、道向こうのコンビニの前にいわゆるホームレスの男性がしゃがみ込んでいた。あの人大丈夫かな、こんな暑いのにとぶつぶつ言いながら通り過ぎた母は、お参りを済ませた後、父と僕に少し遅れて車に戻ってきた。彼のことがどうしても気になり、「そんなことされるのも気悪いかもしれへんけど」冷たいものでもと千円札2枚だけ渡してきたとのことだった。

「私が共産党に投票してるって外で言うたあかんよ」という母の台詞を、幼い頃に何度も聞いた。当時は意味が分からなかったけれど、特に一定以上の世代における(日本共産党そのものというより)共産党という名前への忌避感の根深さを知る今となっては理解できる。
(おそらく今でも変わらずそうだと思うけれど)当時の母は政治に社会的弱者を取りこぼさぬことを求める考えの持ち主で、墓参りの千円札のように、日々の言動にその信条が顔を出すことがあった。

僕もまた大まかに言えば同様の考えで、それは主に大学での教育により培われたものだと思っていたけれど、顧みればその基礎は幼くから母と過ごす日々の中で既に形作られていたのかもしれない。