魚の同定を通じて自らの思考・認知の危うさを知る

魚の同定を通じて自らの思考・認知の危うさを知る


年明け早々に訪れたベトナム南部のフークイ島。
そこで釣れた小魚についてふと疑問を持ったのがきっかけで、僕の中で魚の同定(種の識別)についての論争––名付けて「バンダ vs ホソスジナミダ論争」が勃発しました。
お詳しい方からアドバイスをいただいたり論文を読んだり、その過程で自分の「認知」がいかに危ういものかを思い知ったり、そして思いがけずも過去に石垣でよく釣っていた魚についての新発見もあり、ようやく論争が終結しました。
得るところの多い一連の経験だったので、ここに記しておきたいと思います。

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ベトナム南部のフークイ島は、国境地帯の扱いとなるため外国人の入域には許可が必要となります。紆余曲折を経てようやく許可を得、2019年1月11日に島に上陸しました。

現地の方々と夕飯をご一緒させていただき、島の人気のカフェで食後のコーヒーを嗜んだ後、僕は単身夜の港に繰り出しました。
ダツの切り身をエサに仕掛けを沈めるとさっそくアタリが。ワクワクしながら巻き上げると、石垣島でもおなじみのバンダイシモチ Nectamia bandanensisです(と、このときの僕は疑いなく思っていました)。尾びれの付け根を含め、体側に3本浮かぶ鞍状の斑紋が特徴です。

この夜、最初の1尾

この夜、最初の1尾

その後はどこに仕掛けを下ろしても入れ食い!若干の他種も織り交ぜつつ、2時間足らずで27尾のバンダイシモチを釣り上げました。
石垣島でも見られる魚ということで若干の物足りなさも感じつつ、アタリが絶えない楽しさに満足して宿に戻りました。

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明けて翌朝、再び港へ。
前夜も釣れたスポッテッドギルカーディナルフィッシュの太陽光下での美しさにため息をついていると、見慣れない魚が掛かりました。

ホソスジナミダテンジクダイ

ホソスジナミダテンジクダイ

体型はバンダイシモチによく似ていますが、色や模様が全然違います。調べてみて、同属の近縁種ホソスジナミダテンジクダイ Nectamia fuscaであるとわかりました。目の下にくっきりと入る細い一本線と、体側の細い縞模様が特徴です。

どうせなら前夜のバンダイシモチも明るいところで見たいなと思いましたが、かれらは本腰の入った夜行性らしく、朝は釣れず。

その日の夜も三たび港へ向かい、前夜と同様入れ食いで12尾のバンダイシモチ(と他種)を釣り、バンダ祭りやったなと思いながら引き揚げました。

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疑問が湧いたのは帰国後、写真を整理していたときです。

いくら夜行性とはいえ、夜あれだけ入れ食いだったバンダが、早朝1尾も釣れないものだろうか。逆に朝釣れたホソスジナミダは、岩の隙間の洞穴のようなところにピンポイントで仕掛けを下ろして釣れたけれど、それはいかにも夜行性の魚が朝釣れるときの釣れ方ではないか。つまり、バンダだと思っていた前夜の魚たちも、実はホソスジナミダの夜の体色だったのではないか。
僕の中で「バンダ vs ホソスジナミダ論争」の火種が起こった瞬間でした。

とはいえ、夜釣れたのは大きな鞍状の斑紋で、朝釣れたのは細かい縞模様。紋様の傾向そのものが違うので、おそらくは夜バンダ、朝ホソスジナミダだろうとは思っていました。
それを誰かに裏付けてもらいたくて、魚に詳しい方々が集まる「WEB魚図鑑」の掲示板に投稿しました。

するとこれまでに570種以上の魚を釣られているハンドルネーム「MARI-J」さんから、「ベトナムはバンダの分布域に含まれない。外国産の種の可能性もあるのでは?」と重要なご指摘をいただきました。

分布域というのは、かなり重要な情報です。
「海はつながっているものだし、すべての海をくまなく調べているわけでもないだろうから、公知の分布域以外で釣れることもあるのでは…」とつい思いがちなのですが、これまでの僕の経験上、そういうことはあまりありません。
そこで、「バンダではない」という前提の下、夜釣れた魚が何だったのか、外国産の種も含めて再検討することにしました。

ネット検索で、すぐに有力な資料が見つかりました。
この分野の専門家であるThomas H. Fraser博士の2008年の論文です。外国産の種を含め、バンダやホソスジナミダを含むナミダテンジクダイ属 genus Nectamiaの分類を詳しく検証したものでした。

英語に苦戦しつつ博士の識別チャートをExcelに整理して検討してみると、当てはまるものは一つ。外国産のNectamia ignitopsでした。チャート上はバンダと多くの特徴を共有しつつも、分布は南シナ海で、フークイ島はドンピシャです。

博士のチャートを理解すべくExcelにまとめ

博士のチャートを理解すべくExcelにまとめ

喜び勇んでWEB魚図鑑の掲示板上に報告すると、今度はいつも同サイト上で多くの魚を同定してくださっている西野敬さんから、「ignitopsは虹彩(魚の白目的部分)が赤くなり、もっと体高も高いはず」というご指摘をいただきました。
確かに……ignitopsはその名の由来がまさにラテン語で「炎の輝きの目」で、英名も「Fire-eye cardinalfish」なのです。僕が釣ったものはいずれも虹彩に赤の要素はありません。さらに論文中に「体高は体長の44〜47%」と記されていましたが、僕が釣ったのは42%をやや上回る程度でした。つまり、チャートに記載されている特徴だけでignitopsに飛びついた僕は、他の重要な特徴を見て見ぬフリしていたのでした。

誤同定してしまうときというのは、たいていこうなのです。
「結論に辿り着きたい」という思いが、自分にとって都合の良い情報だけを飲み込ませ、不都合なものを遠ざけてしまう。これまで何度も繰り返してきたミスですが、今回もやはりやってしまっていたのでした。

かくして僕の「バンダ vs ホソスジナミダ論争」は行き詰まり、あとは論文著者のFraser博士に直接伺うしかなくなりました。
果たしてお返事いただけるものだろうか、と思いつつメールを送った翌日、あっけなく博士からの返信が届きました。ワクワクしながら読んでみると、

・頰の一本線が確認できるものについては、ホソスジナミダであると断言できる
・バンダは鞍状斑がよりはっきりと体側下部まで伸びているはずであるから可能性を排除できる
ignitopsは虹彩の色と、尾柄部の模様の入り方から可能性を排除できる
・夜間と昼間で体色パターンが異なるからムズい

とのことでした。

決着しました。フークイ島でたくさん釣れたのは夜も朝もホソスジナミダ。

驚いたことに、博士の断定をいただいて写真を見返すと、当初バンダだと思っていた夜釣りの魚たちの頰に、「何を悩んでいたんだろう」と思うほどはっきりとホソスジナミダの特徴である一本線が見えてくるのです。ラベリングが認知にこれほどまでに影響を及ぼすのかということは、正直驚きでした。自らの認知の危うさを、改めて思い知らされました。

あれ、こんなにはっきり頰の一本線見えてたっけ…

あれ、こんなにはっきり頰の一本線見えてたっけ…

さらに博士の指摘を元に、過去に石垣島で釣ったバンダの写真も見返してみたところ、これらもほぼ間違いなくバンダではなくホソスジナミダ。
フークイ島で釣ったのが石垣島のと同じということは、魚種違いで正しかったのでした。

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以上が僕の「バンダ vs ホソスジナミダ論争」の顛末です。

改めて思うのは、「わかる」ことの楽しさ。いま、僕は日本の素人の中ではかなりNectamia意識高い系のはずです。次にこの仲間に海で出会い、それが何の種であるかを見分けるのが楽しみで仕方ありません。魚と出会う楽しみがまたひとつ増えました。

そして教訓は、たとえ「わかりたい」という純粋で利害のない動機であるとしても、僕は自身の結論に都合の良い情報を積極的に取り込み、不都合な情報からは目を背けたのだということ。さらに、ラベリング(博士の断定)によって認知(何が見えるか)が劇的に変化したということです。

これは何も魚の話に限ったことではないと思います。
普段、ニュートラルで慎重な思考を心がけているつもりですが、これほどの危うさがある。それを改めて思い知らされたことが、あるいはこの一連の出来事での最大の収穫だったかもしれません。