水族館は「イルカショーに代わる集客施策」を考えてはいけない


イルカショー

旧エプソン品川アクアスタジアムのイルカショー。美しかった

水族館と、イルカやクジラたちとの関わり方が転機を迎えているようです。

今年の5月、JAZA(日本動物園水族館協会)が加盟施設に対して「追い込み漁で捕獲されたイルカ」の入手禁止を通達しました。これはWAZA(世界動物園水族館協会)からの働きかけに沿ったものでした。

11月には、アメリカ・サンディエゴのシーワールドがオルカ(シャチ)ショーを2016年で廃止すると発表しました。これは、同園でオルカショーの最中にトレーナーが亡くなった2010年の事故を扱ったドキュメンタリー映画『ブラックフィッシュ』の公開後、動物愛護団体の抗議増加と来場者数減少に歯止めが効かなくなったからだと、Web版のWIREDが報じています。

私自身は、イルカショーには素直に胸が震えます。よくここまで人間とイルカとが関係を築けたなあという感嘆と、プールを泳ぎ回り水面から跳び上がるイルカのスピードや躍動感のカタルシス。特にリニューアル前のエプソン品川アクアスタジアムで、人の少ない平日夜遅めに見たショーの美しさは忘れられません。

しかし今後、JAZAや米シーワールドがそのように意思表示してゆく中で、イルカショーというものについて世間の風当たりが徐々に強くなっていくのは間違いないところだと思います。
そうなれば、ショーを目玉としている館は大きな方針転換を迫られることになるわけですが、この一連の問題を「イルカ愛護ムーブメントvs.水族館」と捉えると本質を見誤ります。これは、ただ水族館の一パートが国際的な潮流にそぐわなくなりつつあるという出来事ではなくて、「社会における水族館の役割とは何なのか?」という非常に根本的な問いが、たまたまイルカという要素で顕在化したものと捉えるべきです。

多くの人がうっすらと感じている通り、「イルカは知能が高いからそれだけ苦痛も感じている、だからかわいそう」というのは本質的な議論ではないでしょう。ではアシカやオットセイは?ペンギンは?魚は?どこまでは苦痛を感じるほど賢くて、どこからは苦痛を感じない「バカ」なのか?ショーをしなくても、元いた生息環境から連れてきて檻や水槽に閉じ込めるのはいいのか?
愛護ムーブメントと対峙すると、このスパイラルに陥ります。その先にあるのは、極端に言えば、水族館での展示そのものを動物虐待とする不要論なのではないかとすら思えます。

だからここで水族館がしなければならないのは、「イルカショーに代わる新たな集客施策」を考えることではなく、「社会において今後どのような役割を担っていくのか」をもう一度考え直すことです。

もし、水族館関係者の方、特に現場で日々奮闘していらっしゃる方がこれをお読みになれば、完全に「釈迦に説法だ」とお感じになると思います。少なくとも、私がお話させていただいた数少ない水族館関係者の方は、言われるまでもなく「水族館の社会的役割」を念頭に、必ずしもうまくいくばかりではない現状と闘っておられるようでした。

なので、私がここで話題として取り上げたいのは、「水族館はもっと社会的役割を意識しなければならない」ということではなく、「水族館は、その社会的役割をもっとうまく対外的に発信しなければならない」ということです。

JAZAは、水族館(と動物園)の目的を以下のように謳っています。
1.種の保存
2.教育・環境教育
3.調査・研究
4.レクリエーション
JAZA公式Webサイトより)

世間一般の水族館に対するイメージは、「4.レクリエーション」が大半を占めているのではないでしょうか。「大半を占めている」ことを前提に話を進めますが、この「大半」というところに問題があると思うのです。

企業や団体の社会的な役割は、その企業や団体が「実態としてどうであるか」よりも、「どういうものとして世間に認知されているか」によって強力にコントロールされます。大企業が莫大なお金を投じてイメージ作りをするのはそのためです。「ダケジャナイTEIJIN」とTVCMで何度も聞かされれば、細かいことは分からなくとも「ああそうか、帝人は○○だけじゃない幅広いソリューションを提供する会社なのか」と世間は次第に認知します。そうすれば、帝人のひとつひとつの仕事の現場において、これまでは素材の仕入れだけだったという取引が、何かソリューションを求めて相談するというような関係に発展していくことがあるかもしれません。そうして細かく実績を積み重ねていくことで、帝人は「素材提供企業」から「ソリューション提供企業」へと意識的に生まれ変わろうとしている(あるいは、生まれ変わった)のです。

水族館にしても同じことです。どれだけ真剣に種の保存や教育や調査研究に取り組んでいても、世間一般が「レクリエーション施設だ」と見てしまえば、水族館はその求めに応じてレクリエーションの比重を高めていかざるを得ません。そうすればますます世間は水族館にレクリエーションを求めるので、集客を維持するためにもっともっとそこに力を入れなければならなくなる。その結果、今や水族館は「いえ、私たちの役割は本当は他にもあって、種の保存や教育や調査研究もやっているんです」とは言えない(言っても世間が興味を持たない)状況に陥っているのではないかと思うのです。

今回、WAZAがJAZAに対して「追い込み漁で捕獲したイルカの入手禁止」か「WAZA脱退」かを迫ったのには、そのような背景もあるのではないかと想像します。レクリエーションの側面ばかりが対外的に発信され、世間の大半も水族館をそのようなものとして認知する日本の状況が、言葉は悪いですがWAZAに「目をつけられた」のではないかと。

だから、今回のイルカ問題をきっかけに水族館が考えていかなければならないのは、「イルカショーに代わる集客施策」ではなく、「社会においてどのような役割を担ってゆくか」、そしてそのために「どうやって水族館の社会的役割を認知させてゆくか」ということなのです。

これを、今後このブログのテーマの一つとして考えていきたいと思います。

 

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