「生物多様性」の概念は大人世代に浸透するか


絶滅した鳥、ドードー。2017年の大映自然史博物館展にて

絶滅した鳥、ドードー。2017年の大英自然史博物館展(国立科学博物館)にて

私は大学時代、「現代思想」を専攻しました。
そこから私が得たものはというと、「自らの主張に対して(屁理屈でもいいから)可能な限りの反論を自らぶつけてみる」思考法、これに尽きます。そのプロセスを経ることで、自らの主張に矛盾や穴があればそれに気づくことができますし、矛盾や穴とまでは言わずとも自分の思考の傾向を知ることができたり、あるいは反対意見を持つ人の考え方や気持ちに想像が至るようになります。

(この投稿は、誤解を避けるために先に言っておくと、生物多様性の概念そのものや、それを普及啓発しようと奮闘される方々を否定したり揶揄するためのものではありません。むしろ、どうすればこの概念をより浸透させられるかを考えるために、あえて揺さぶりをかけてみるという思考実験です。)

「生物多様性」というものを考えています。
生き物好きの人々にとっては既に当たり前と言ってもいい概念ですし、ざっくりといわゆる「環境保護」を考えるにおいて今や欠かせない考え方です。
けれども「生き物界隈」においてはこれほどまでに当たり前に思える概念が、巷の隅々にまで浸透しているかといえばそうではないと言わざるをえません。特に、これから教育を受ける年若い世代はさておき、既にひとまず「学び」のステージを終えた大人世代にはなかなか浸み込んでいないように感じます。その、「浸透しきらない理由」を、我々「生き物界隈」の人々はもう一度よく考えてみなければならないのではないかと思うのです。

何やら馴染みのないドジョウの類が絶滅することと、都市開発によって懐が潤う(かもしれない)こととを比べれば、普通は後者を優先するでしょう。ここで「生き物界隈」の我々は、ドジョウの類が絶滅するのをなぜ防がねばならないかを「生物多様性」の観点から説明・啓発しようと試みるわけですが、それがなかなかうまくいかないのです。
それはなぜか。「生物多様性」の概念の画期的である点は、「多様性を維持するのは回り回って結局人間自身のためなのだ」という、利己的観点から利他的行動の必要性を説いたところだと思うのですが、結局「なぜドジョウの類が絶滅すると人間が困ることになるのか」という因果がいまひとつ腑に落ちないのです。
「生き物界隈」の我々は、「飛行機はどこかのネジが一つ抜けてもすぐには墜落しないが、それがいつか深刻な影響を及ぼしうる」というたとえ話や、「ひょっとするとこの先人間を救うかもしれない新薬のもとが、ある種の生物の絶滅によって永久に失われるかもしれない」という仮定の話に納得することができます。が、それはあくまで「生き物界隈」の我々だからのこと。そんなことに興味のない人々を納得させるだけの説得力は、客観的に見て乏しいようです。

この議論において「生き物界隈」の我々にとって最大の難敵は、「何か生き物好き自然好きが面倒くさいこと言ってる」というレッテルなのではないかと私は思います。そしてなぜ生物多様性を守らねばならないかという因果を明快に説明できない限り、このレッテルには勝つことができず、その結果生物多様性の概念は「生き物好き自然好きが持ち出した理論武装のための理論」にすら見えてしまうのではないかと思っています。

生物多様性の概念は、生き物好き自然好きが持ち出した理論武装のための理論に過ぎない。私はこれを出発点にしなければならないのではないかと思っています。「生き物界隈」の我々から最も対極にある人々の考え方をこうして想像してみれば、かれらを説得するための新たな方法が見えてくるかもしれません。それに実は、この「生物多様性=理論武装のための理論」説にも、一抹の真実はあるかもしれない。なぜなら、たとえばどこかの川に工事が入り、その地域にしかいない生物種の個体群が永久に失われたとき、我々は「ああ!人間の未来に利するかもしれなかった資源が失われた!」と歎ずるよりも先に、「自分の好きなものが失われた」ことへの悲しみや危機を感じるはずです。つまり、「生き物界隈」の我々を動かしているのも、生物多様性の概念よりもまず先に「好き」の気持ちや郷愁のような情動なのです。

生物多様性の概念は、人間の利己的観点から利他的行動の必要を説くことができる画期的な考え方でした。ですが、どうやらその啓発だけでは「生き物界隈」の対極にいる大人世代の人々の心を動かすことはできなさそうです。かれらの心を、「界隈」の我々と同じように動かすにはどうすればよいのか。その一つの答えとして、私はただ単に好きな魚を描くだけの絵描きであろうと思っています。

 

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