事後の達成感を知らない


ある大きな仕事に取り組んでおり、特に昨年8月以降はほぼこれだけにかかりっきりです。全力でエンジンをふかしてもじりじりと遅れが開いてゆく状況に抗ううちに、終わりが想像できなかった長大な作業リストもいよいよスクロールなしで一画面内に収まるところまでやってきました。

納品を終える日のことを想像するのですが、これまでの苦労に見合う「達成感」を得られることは、実はないのだろうと半ば確信しています。
会社員の頃、飛び込みでいただいた大仕事に散々苦しんでようやく納品を終えた後には、手が回らないまま山積した他の仕事が息もつかせず待っていました。大学4年の冬、ようやく卒論を提出してキャンパスを出、夕暮れの通りに浮かぶ信号と車のテールランプを眺めていたときの浮かないよるべなさは生々しく心に残っています。高校生の頃は定期試験を終えて早い午後に帰宅するたび、何の解放感も感じないことを不思議に思いながら布団に潜り込んでいました。
思い返せば、これまでの人生で達成感を感じた覚えがありません。

それに近いある種の高揚感は取り組んでいる最中にこそ感じるものであって、何かをやり終えた後に持つものではないのかもしれません。あるいは、いまだ達成感や解放感を味わうだけの本当の苦労や努力をしたことがないのかも。
そもそも達成感とは一点の曇りもなく満足に百点満点な何かをやり遂げた暁に感じるべきものなのだとしたら、一生お預けになる可能性も高そうです。

とりあえず、リストがスクロールなしで画面内に収まったのには感慨深いものがありました。マラソンで言えば残り15キロから全速力みたいな長いラストスパートにバテ気味ですが、もう一踏ん張りです!