暗闇を恐れる気持ち
近頃お気に入りの浜で、ルアーをブイに引っ掛けてしまった。
30分ほど前にも同じブイに掛けてしまって、なんとかウェーダーで立ち込める深さだったので回収して気をつけていたのだけれど、ロープが思った以上に長く海面に伸びていたらしい。30分前より明らかに水位は増したし、陽も暮れかかって危険な瀬踏みをする気にはなれなかった。夜中の最干潮に回収しに来ることとして、浜辺の木に竿を括りつけ、念のためうんとドラグを緩めてその場を去ることにした。
夕方の釣りは久しぶりだったので、ヘッドライトを持ってくるのを忘れていた。帰路の林道はもうすっかり暗くなっていて、スマホの電灯で足下を照らしながら心細い気持ちで歩いた。その心細さは少し意外だった。僕は子どもの頃から怖がりだったけれど、生き物との出会いを求めて夜の海や川へ出かけるようになって、理由のない恐怖はすっかり感じにくくなっていたからだ。人間にとっては非活動時間帯であっても、夜を本番とする生き物たちは生き生きと動き回っている。その気配に触れるのは楽しい。かれらと危険な鉢合わせをする用心は別として、ただ暗闇を気味悪く思う恐怖心はすでに克服しているはずだったのだ。
竿を置き去りにする不安が恐怖を煽るのだと思った。もしくは、年末年始を都市で過ごしすぎたか。あるいは、この一年ほどすっかり釣りばかりで海に潜ったり山に入ったりすることをしていなかったから、自然と隣り合わせになる感覚が鈍っているのかもしれない。そんなことを考えながら家に帰った。
最干潮は2時13分で、それに合わせて浜に向かった。新月の曇り空で、後ろを振り返るとすがすがしいほどに何も見えない真っ暗闇だ。さっきの不安がちらりと蘇ったけれど、懐中電灯とランタンに浮かび上がる目の前の道だけを見て歩いた。カエルがよく鳴いている。
浜はすっかり干上がって、ウェーダーどころか長靴もいらないほどだった。竿は無事木に括りつけられたままそこにあって、リールを巻きながら歩くと砂浜に横たわるロープにルアーが引っかかっていた。無事回収して、せっかくだから少し歩いてみようかと沖に向かう。懐中電灯の光を向けると、無数の小魚が水面を飛び交うのが見える。これだけ小魚がいるんだから、そりゃ釣れるわけだ。足下を惑う小魚をすくおうと試みたけれど、さすがに素手では無理だった。
浜に戻って、ランタンの灯りの下で悠々と竿を仕舞って、また林道を通って帰路についた。ルアーも竿も無事に手元に戻った安心感に、やっぱりかすかに恐怖心が混じる。最近見たルパンIII世で五エ門が「恐怖を感じることこそ人間である証」と言っていたのを思い出す。文明と自然、人間と動物の間で、自分が今どのへんの位置にあるのかを少し考えた夜だった。